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忘れるが勝ち!外山滋比古 あらすじ

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はじめに

忘れるが勝ち!前向きに生きるためのヒントというタイトルで自己啓発、How to物を想像すると、本来の内容は吸収できません。というのもエッセイ風の文体で哲学的な内容なのです。予め知っていないと初めから意味が分からなくなって本の良さを分かってもらえないからです。3回くらい読み返すとじわじわきます。5回以上読み返すと著者の伝えたいことが見えてきます。1回だけでは絶対著者の伝えたいことは分かることはできません。著者のプロフィールを見ると英文学者、文学博士、評論家、エッセイストなので納得しました。この本を脳科学者や心理学者が書くと全く違う内容になるでしょう。

・「むかしむかしあるところに」物語りの最初によくあるはじまりのフレーズです。メルヘンは遠いところを想像して生まれるので、むかしむかしは時間、あるところには遠い場所を読者にイメージさせている。古いものがいいという定説が人は持っているのでふるさとを始め古典、旧跡など古いものの価値は高い。時の経過はすべてのものを美化するし、醜いところもそっと消す作用が働いてるので人物も生きているうちは色々悪く言われた有名人が亡くなって2,30年経つと一転して偉人であったというような評価の変化が起こる。物事がそのままが歴史になっているわけではなくて、時によって磨かれた過去が史実のようになるので歴史が忘却の上に作られた世界であることは気に留めていて欲しいです。

・東海地方にちっちゃい中学校があり、そこには普通にサッカークラブがありました。そこの学校の先生が勝手にイートンスクールと口にするようになりました。その先生はイートンスクールのことについてあまり知らなくてイートンスクールというのはイギリス第1のパブリックスクールで格式ある貴族的学校であり、そこら辺の学校とは格が違うのですが何も知らない中学校の先生が勝手に名前をつけてしまいました。しかし「知らぬが仏」名もない中学校が本家のイギリスのイートンスクールとサッカーで交流を始めました。嘘から出た誠ではないが、誤解から生まれたとはいえそのままその中学の伝統になりました。前の時代の人たちが忘れたところを後からの人が新しいもので補強する。はっきりしないまま眠っていたものが目を覚まして、そこから懐かしさが生まれ歴史、伝説、伝統は作られていきます。忘却のなかで変化、変貌しています。元のものを忠実に伝えているように考えるのは願望であります。歴史はその願望によって作られます。
初めから歴史を持つものはありません。国も組織も初めの頃は分かりません。分からなくなった頃、忘れた頃に歴史化が起こり、忘れた頃がどれぐらいか知ることはできません。

・ある老夫婦は喧嘩ばかりしていました。その妻が急病で死んでしまいました。死んでから妻が大変いい人であったということに気づいて、それで今まで見えてこなかったところが突如現れ見えてきました。近いところにあるうちは疎ましくうるさいと感じたが消えてしまうと急に心惹かれ懐かしくなります。

・小学校に入ってから先生から忘れると怒られる。テストをしても忘れると答えがわからなくて点数が悪くなって怒られる。頭のいい子は物覚えが良くて忘れないので偉いと褒められる。大人になっても忘れるのを恐れる気持ちは変わらず、大事なことなど忘れるといけないから書いたりメモしたり確認する。
メモを取るのは用心がいい、そう考えるのが常識かもしれないが間違っています。メモなど取っていれば肝心な話は頭に入ってこないし、メモに気を取られているからしっかり聞き届けることができません。
ある大学生のエピソードで大学の講義が頭に残らないのでノートの取り方が悪いのじゃないかと思って大学教授のところへ教えを受けに行きました。どうやったら講義がよくわかるのかノートの取り方を教えてほしいという学生に教授はなるべくノートを取らずに話をよく聞いていなさい、とアドバイスをもらいました。その通りにするとその学生は良い成績を取ることができました。

一般にわかっていないのは忘れるのが怖いから、忘れてはいけない、忘れたくない、そう思う一念で我々は自分の頭をどれほど悪くしているか。そのせいで考える力を失いせっかくの頭を悪くしています。このような忘却恐怖症が起こったのはそんなに昔のことではなく学校教育が普及し、知的活動が重要になるにつれて忘却恐怖症は高まってきたと思われます。

・写生をするときたいてい背景をつけます。それによって絵が生きます。花を描いても花だけでは絵になりません。最小限の景色が必要です。景色が本体を引き立てています。
三保の松原を望む富士山もその距離が美を生んでいます。その距離に忘却が含まれていることを我々はまだ十分に理解することができていません。

・著者の友達が昔結核にかかりました。レントゲンを撮ると結核の影が映っていました。そのうち友人は死んでしまいました。その時著者も一緒にレントゲンを撮っていて同じようにレントゲンに影が写っていましたが、著者は「忘れるが勝ち」という無責任な事を考えて無視していました。しかし勝手に消えるはずもなく具合が悪くなり病院に行きました。

うまくいくも偶然なら失敗もまた偶然である。偶然と喧嘩するのは賢明ではない。偶然と仲良くするには忘却と仲良くすることではないでしょうか。

忘れるが勝ち!p36

・松尾芭蕉の歌で古池や蛙とびこむ水の音という句があるが古池やの”や””は切れ字で残像イメージがはっきりする働きです。古池の残像は切れ字によって守られて強いイメージを作ると同時にそれをいくらか消す役割も果たしています。古池と蛙は調和を奏でています。さらに水の音というところで古池、蛙の世界を包む効果があります。消えかけた、忘れられていくイメージが情緒を生むことを発見したのは驚くべきことで我が国の伝統文化の誇りと言って良いところであります。俳句が忘佚(うっかりなくす)の重要性を命としていることが分かっていない日本人が多すぎます。

・よく人は昔育った故郷を訪れて思ってた景色と違い「あれ?こんな道狭かったかな、こんな川だったかな」とギャップを起こすことがあります。過去は思い出の中で年をとり懐かしく大きく美しくなります。実際のところへ行ったりしなければそれを疑うことがありません実際を見て驚きます。

・伝言ゲームというものがあります。最初の人が聞いた言葉を順番に後ろの方に伝えるゲームなのですが決まって後ろの方で言葉が変わった形になって伝わっていきます。歴史も同じでほぼ正確に伝わっていく歴史はありません。たとえば甲と乙が戦って乙が買ったとします。甲を贔屓している人達はそれを意識しないで微妙な改変を加える。それに気づかれずに継承される。そうして生まれる歴史が元のままを正確に伝えることは難しいはずです。この史実が元の事実とどれぐらい異なるかはっきり示すことはできません。全てのものは流転するというが全てのものは変化します。従って今の歴史とされている記録から元の事柄を復元することはほぼ絶望的に困難です。争いについては弱者の方に味方をする傾向です。戦記は弱者の視点で書かれます。少なくとも勝者の味方をした場合の戦記よりも面白いです。面白くないものは消えやすいので勝者側に立った戦記は消えやすく残らない。伝説は面白い方から生まれるので勝者は敗者ほど面白くないから歴史になりにくいです。

・可哀想な人が面白いのです。賢くて有力な人は大抵つまらない、ならず者は何となく心惹かれます。伝記は間違い、感情移入を受け入れているために面白いのであります。正確な伝説というものは言葉としても存在しない。伝説になるには一旦忘佚しないといけない。そこから目覚めた者が伝記であります。伝記にはやはり風化、忘却の期間が必要です。よく知っている人よりあまりよく知らない人の方が良い伝記を書くことができるのは面白い。伝記の主人公になるには一旦忘却の湖に沈めなくてはならないがそのまま二度と浮上しないケースがどれぐらいあるかしれないです。

・呼吸、血液循環、睡眠は特に意識をしなくても働いてくれる。多くの健康な人はこういう自然の作用を当たり前のように思っています。普段は忘れています。意識する時は異常な場合、病気である場合です。物事を忘れるというのは呼吸や心臓や睡眠ほど生命に関わることでないのであんまり注目されませんが、そういうことを考えると忘れるのは呼吸をするのに通じる自律的なことであります。

・先にも述べた学校現場の中でよく物忘れする生徒は点数が悪くて駄目ですが物覚えの良い子は試験で良い点を取るために先生に褒められます。しかし記憶がよく試験で良い点を取る子はどこか冷たく、付き合いが悪く、友達も少ないです。しかしそれが忘れない頭のせいであることは本人はもちろん教師も家庭も気づかない。
何でも覚えているのを神童のように思っている大人はどんどん物忘れをする頭の良さに気づくことが難しい。それにきずかないのは人類の損失であります。
いくら記憶が優れてる人でも人工知能はもっと素晴らしく頭がいい。記憶の力では人間は到底かなわないです。ただ忘却ということになると機械は人間のように器用に忘れることができません。人工知能の能力を越えようとすれば記憶の分野では到底かなわないので忘れる能力の方で対抗する、忘れる力を実証する人間になれば人工知能の時代でも目覚しい活躍が期待できます。うまく忘れるのはこれからますます必要となる才能になるでしょう。うまく忘れ新しいことを考えるのが未来を拓くことに思われます。

・学校の授業で勤勉な学生はせっせと講義をかき取ります。ナマケモノの学生はノートを取らずテストの前の時だけノートを借りてそういう怠け学生が案外いい点をとることがあります。ノートをとるのは上手でもよく理解してない学生が多いです。メモとかノートとかは忘れないために取ったり書いたりするものと思っているが、ありようは、一時忘れていられるためのものであることを理解する人が少ない。忘れるのが良くないこと、という間違った考えを植え付けられたためであります。忘却が頭を良くする。忘却が記憶を強化します。

・ある記憶のすごいいい人がいました。その人は何でもかんでも記憶できてしまうのでスケジュールや予定をノートにメモせず全て頭の中で記憶していました。若い時はそれで大丈夫でしたがその人も年寄りに差し掛かってある時を境に記憶があやふやになってきました。なにせ今までメモを取らずに記憶だけでやってきたので忘れたとなったらどうすることもできない状態になって周りに迷惑をかけてしまいました。

・博覧強記の人は記憶を信じている。記憶は薄れたり変化したりすることは考えないので普通に秀才になります。普通の人間の記憶力は覚えた”はし””から忘れていきます。ノートをとってあっても”忘れ””の穴を埋めることはできない。記憶力の良い人はその穴を埋めようとしないので全体を腐らせることが少なくない。記憶秀才が面白い考えを産むことが少ないのは記憶力が良すぎるせいである。頭が良くないと自覚している人は自分の頭に愛想を尽かして知的活動を諦めるかもしれないがの残念である。せっかくのチャンスを逃しているのである。優れた本ほどこの忘却の穴、不可解な空白が多い。正直な頭ならそれを埋めようとするだろう。頭の良い人、記憶力の良い人、知識の豊富な人は頭を大きな格納庫にしていることが多い。年をとるにつれてガラクタが多くなって身動きができない。秀才の末路である。頭の良くない人間の頭は小さな工場である。ものをたくさん溜め込んでいる工場ではない。新しいものを作り出し、ゴミが出てどんどん捨てる。工場はいつも広々と片付いている。
博覧強記は倉庫にとって有用であるが工場にあまり役に立たない寵物ということになる。忘却の頭は長期記憶の頭に負けない能力があります。そういうことを考える人が少ないのは面白い。

・一日中勉強ばっかりしている人とスポーツのしてその次に勉強をする人、この二つを比べた場合普通に考えて勉強ばかりしている人の方が頭がいいように思われるが現実はスポーツをして、しかも勉強もする方が頭のいい人が多いどうして勉強ばっかりしてる人より勉強も運動もする方が良い成績になるのか。思い切って汗を流すようなことをすると頭が良くなるのかもしれない。そう考えた勉強家があまりきつくない運動をするようになった。面白いことに勉強の時間が減ったのに成績が良くなった。勉強は知識を身につけるだけを考えて発散することを考えない。せっかく覚えたことを忘れてはもったいもったいないと思うから頭は次式でいっぱいになって新しいことに対する興味を失ってしまう。取り入れたつもりの知識も満杯の頭入れることができず、渋滞する。それに引き換えスポーツなどで汗を流すと頭の中は当面不要なことを忘れて広々する。新しいものを迎え入れようという気持ちが強くなるのか勉強効果は上がるのである。よく仕事をする人でも時間があって仕事ばかりしていると案外いい仕事をしない。それに引き換え色々なことに忙殺されてロクにものを考えたりしている余裕のない人が大きな仕事をするというケースがある。忙という文字は心を失うという字を当てるが心が空っぽになるくらい忙しいと頭はのびのびと働いて新しいことを考えたりする。その間を忘れるというのが大切な働きをしているのである。適度な運動は頭の掃除をしてくれる。運動によって余計なものを捨てる忘れることができるからである。じっと動かず同じことをしているのは頭の働きを悪くするということを我々はもっと真剣に考えないといけない。うまく忘れる頭がいい頭であるということを認めなくてはならない。

忘れることが生きていくのに大変重要であることを広く教えたのはレム睡眠である。人は夜眠ている時にレム睡眠を行い頭の中の不要なものを処分つまり忘れるらしい。レム睡眠が働けば頭の中に入っているゴミが捨てられる。朝、目を覚まして頭がすっきりしていればレム睡眠のおかげであると考えて良い。逆に朝、目覚めて何となく頭が重いように感じられるとすれば原因の一つにレム睡眠の不足を疑ってみても良い。自然は頭の掃除が大切であることを知っている。本人に任せて切りにしていては大変なことが起こる恐れがあるから本人の意思とは関わりなく不要あるいは有害なものを頭から排出する。それを行うのが忘却で人間がうっかりして忘却を忘れるといけない。それで自立的なレム睡眠が起こる。忘れては困る、忘却が悪い、などと考えるのが見当が外れている。とんでもない誤解をしている。本を読み知識を増やすことが人間を賢くすると考えるようになって以来忘れる力を有害であると考えるようになっていた。そこへ忘れない人工知能が現れて戸惑いだした。長い間バカにしてきた忘却力が密かに笑っています。忘却は記憶と並んで人間とって必須の能力であり忘却力の方が記憶力より重要であることが今少しずつわかりかけている。実際情報過多な現代では記憶が旧態依然としていれば頭がゴミの倉庫のようになる恐れがある。レム睡眠だけで処理できなくなってきたので、うまい忘却方を考えている。体を動かす、汗を流す、面白い遊びに夢中になるなど色々有望な忘却の方法があることが少しずつわかってきた。忘却を記憶とともに大切にする、むしろ忘却は重要であると考えるのが新しい文化である。生活が複雑になり仕事が多くなるにつれて頭のゴミも増えるうっかりするとゴミに圧倒されて人間らしさを失うようになるかもしれない。上手い頭のゴミ出しは極めて現代的な問題である。真剣になって考えるべきであるがキーワードは忘れるである。頭のゴミをうまく処理できるのがいい頭である。すなわち、忘れる頭はいい頭である。

世の中の人は忘れることは困ると思っていますがどんどん忘れて頭が空っぽになっても病気にはなりません。頭をからっぽにしたら優秀な頭になって新しいことをどんどん覚えられるでしょう。頭はとにかくゴミがたまりやすいのです。

よく「覚えて忘れる」と言いますが忘れる方が先です。忘れると頭の中の容量が空くので新しい知識を入れることができます。忘れて覚えて、忘れて覚えていく。これが覚えて忘れる、だと頭の中の知識のゴミが残ってしまいます。その結果覚えるのが得意で成績が良くいわゆる秀才タイプの人は30歳ぐらいになるとただの人になってしまうのです。そういう人は運動をして頭を空っぽにするといいですね。

大事なのは一つは忘れるということですが、もう一つは間違うということです。間違うということ、失敗するということを我々は今まで恐れてきました。しかし間違わずに正解ばかりを出すことはできないのです。間違えてから正解にたどり着く。まず失敗があって成功する。正解より間違いが先行するのはちょうど忘れることが記憶より先行しなくてはいけないのと同じです。七転び八起きということわざがあります。一回失敗したら次は必ず成功するわけではありません。成功するまで何度も失敗を重ねることもあります。一度失敗すると大抵の人はがっくり来て挑戦しなくなります。ですから七転び八起きと昔の人が言ったことは大事です。6回か7回ぐらい挑戦すると良い結果が出てくる、と。我々はまず成功しなければいけないと思いがちです。でも失敗して絶望したら駄目です。失敗を繰り返すとみんな諦めて自分はダメだと思い込んでしまいます。失敗して転んだら立ち上がる、また転んだらまた立ち上がる、これが人間の価値を決定します。それにはまず失敗しなければいけない。

忘れるが勝ち!刊行記念インタビュー 春陽堂書店

まとめ

忘れるという働きは意識してなくてもあちこちで起こっていて文化、芸術、健康、生活など様々に影響しています。記憶するために忘れる(空っぽにしてスペースを作る),朝元気に活動するために夜は良く寝るなど通常とは違う視点で切り込んでいる。今までの固定概念を覆す発想、それを文字に落とし込む才能、読み返せば読み返すほどしみ込んでくる内容。

著者 外山滋比古 1923年愛知県生まれ 英文学者、文学博士、評論家、エッセイスト、東京文理科大学英文学科卒業

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