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「私」は脳ではない 21世紀のための精神の哲学 マルクスガブリエル 要約、あらすじ

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著者が主張している新実在論は21世紀の哲学です。人間を自由な精神を持つ生き物であると認識することです。なぜなら数々の失敗を繰り返すからです。本書ではヨーロッパ(ユーロ)中心主義になぞらえて神経(ニューロ)中心主義を批判しています。神経中心主義とは神経の電気信号はデジタル信号に置き換えることが出来るという考えです。シンギュラリティ、トランスヒューマノイドの考えです。この考えは私たちは自分自身を認識できなくなるからです。人間を自己決定のレベルで台無しにします。
様々な例を用いて神経中心主義は間違っている、心や魂は電気信号に置き換えれるものではなく、徹底的に自由であるという21世紀のための精神哲学の概説を述べています。本書は三部作の二作目ですが脳、精神、意識、自由について述べられていますので二作目単体でも読み進めることができます。

私たちは考えたり感じたりするので精神を持つ生物です。機械を用いて脳のどの部分が活性化してるかまで分かってきていますが、精神的意識レベルまで全て把握出来ていません。意識の本質が何千年も取り組んでいる謎です。意識と神経伝達物質のニューロンはどんな関係なのかを考えるのが精神哲学の領域の意識哲学と神経哲学です。現在の意識哲学の主流は自然主義で「存在する全ては科学的にしらべることができる」ですが著者は反自然主義です。非物質的現実が存在するということです。意識、心、魂は物質ではないので科学的に説明出来ないからです。f MRIなど多くのテクノロジーを用いてある程度生きている脳を可視化できますが、考え、思考は可視化出来ません。

人間の思考、意識、精神の存在する場所を脳であると突き止め、観察できるという考えは神経中心主義と呼ぶことにします。「私」=脳という考えです。近頃は神経科学、進化心理学、進化人類学、その他多くの自然科学が自己認識で着実に進展していると言っています。

「私」=脳とはいかに我々は考え、苦しみ、愛するのか。我々の考えること、すること、しないでおくことのすべては脳によって引き起こされている。この素晴らしいマシーンは我々の能力、限界、性格を決定している。我々は脳なのだ。脳研究はもはや脳疾患の原因を探すだけでなくなぜ我々は今ある我々なのかという問いへの答えを探すもの、我々自身を探すものです。著者はこの神経中心主義の考えに反対する精神哲学「私」=脳ではないと主張しています。

我々が脳と同一でない理由は、第一に私たちには肉体がありその肉体はニューロンだけで成り立っているのではなく、体内には別種の細胞でできている様々な臓器もあるからです。さらに社会で他の人達と相互に交わっていなければ、私たちは今の我々とは似ても似つかない存在になっていたかもしれません。言葉を持たなかったかもしれませんし生き残ることさえできなかったかもしれないからです。

著者は科学やテクノロジーの進歩は歓迎していますし、昔は良かったと言っているわけではありません。自己認識が薄れてきた事に警鐘をならしています。

脳の事について語っていると避けて通れないのは意識についてです。意識についての哲学は最も考えていくべき分野です。私たちは朝目覚めて意識がはっきりしてきます。日常的に生活していると多くの活動(内臓の働きや瞬きなど)は無意識であり、意識することはごく僅かです。意識は自分にしか認識できません。意識についての事実は人には意識があるということについては実際のところ反論できない、ということです。意識と自己意識は密接に関係していて人間の感情世界のほとんどは自己意識です。その本質は志向的意識と現象的意識が折り合わされていることにあります。私たちの前に現れる時には評価が下されています。この土台があるからなぜ私たちの倫理的な価値が感情世界と結びついているのかを理解できます。他者が意識を持っているという意識を持ち、日常的に絶えず新たに調整し直すべきシステムとしてこのシステムを体験しているから私たちは倫理観を持つことができます。

結局私とは誰で何なのか?

「私」は哲学的概念で、自分自身を表す役目を果たします。私を意識することで体験し、感じることができます。私ということを考えている時だけ私で考えるのをやめた時は私ではなくなるかもしれない、私とは考える実体です。私は脳でも遺伝子でもありません。脳は「私」が巻き込まれている人間活動が存在するための必要条件です。

私たちの意思は本当に自由なのか。全ての決断は既に脳できまっているのではないか、と昔から考えられて脳研究が進み、事実私たちがどう決定し、人格形成、その事に影響を与える要素は沢山存在することが分かっています。意識的な決定をしているとされるものの多くが神経レベルで無意識のうちに準備されているのは事実です。このことは脳が私たちを操っている事になります。脳科学者ヴォルフジンガーがこの考えを「神経回路網は我々を拘束する」という論文で語っています。ベテランドライバーは運転法規の事を考えながら運転しませんし、外国語もペラペラになると文法はいちいち考えません。無意識のうちに決定されています。神学的決定論ではマルティンルターも1525年「奴隷意志論」で我々のなす事すべて、起きる事の全てはたとえ我々の目には変えられるように映り、偶然に起きるように映っても実際には必然かつ不変に起きるのだと記しています。それに物理的決定論では物理的現実の全てが素粒子から構成されている以上我々は自由ではありません。神経決定論では私たちの脳で進行する無意識の神経プロセスは決まった神経回路網に淡々と従い意識的にあらゆる決定が下される前に種々の決定を下します。スピノザも私たちが自分を自由だと考えるのは全ての出来事に必要な条件を何も知らないからである、というこれらの考えに著者は不満足です。なぜなら、もしそうなら、私たちの自由の本質は私たちはあまりにも馬鹿なので本当は自由でないことを悟れないところにある、ということになるからです。出来事の中には行為者が関わることで成立するものがあります。そのような出来事には固い原因ではない、いくつかの条件があります。ですから行為の自由があるのです。私たちは自分の欲することを為すことができるのです。

人類には終わりがあります。私たちは大きな進歩をしてきましたが、さらに進歩するには自分たちは精神をもたず、人間でもなければ自由ですらないという考えを止めることです。物質主義をやめなければなりません。やがて訪れるユートピアなどありません。私たちの生きる現代よりも自由を促すのに原則としてふさわしいポスト〜時代などありません。未来になっても私たちから自由を奪い取ることは誰にもできません。人間の最大の敵はAIなどではなく人間自身です。ユートピアのような未来を夢見るよりも私たちは今ここにいる、それが全てです。私は脳ではなく、徹底的に自由であり、全ての哲学のアルファにしてオメガは、自由である。ここに高らかに人間の自由を宣言します。

前著「なぜ世界は存在しないのか」に続き三部作の二作目です。最先端の哲学なので解釈するにはかなり難解なロジックで基本的な哲学などを前もって勉強してないとほとんど理解できないです。しかし21世紀の哲学の最先端を感じることはできます。

著者 マルクスガブリエル 1980年生まれ ドイツの哲学者「新しい実在論」を提唱して注目される。

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