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これからの「正義」の話をしよう マイケル・サンデル 要約、あらすじ

第1章 正しいことをする

幸福、自由、美徳
アメリカでハリケーンの後の便乗値上げは是が非かという話。法律で規制すべきか、社会はどうあればいいのか、消費者と企業の幸福の最大化、商品価格の自由、非常事態に人としての美徳とは。何が正しいのかがテーマです。

パープルハート勲章にふさわしい戦傷とは?
アメリカ軍が戦闘中での負傷もしくは死亡した兵士に与えられるパープルハート勲章をPTSDの兵士にも与えるかどうかの話。勲章にふさわしい美徳とは。勲章にふさわしいのは犠牲でるからPTSDでは品位が落ちるという論争。

企業救済への怒り
アメリカの金融危機に政府が救済しようとしたがそのお金は税金なので救済すべきかどうかの話。好景気の時は企業は利益を上げているのに金融危機でも救済を受けて助けてもらっている。不公平であるという論争。

正義への三つのアプローチ
社会が公正かどうかは収入、財産、義務、権利、権力、機会、職務、栄誉がどう分配されるかが問題です。われわれの議論のいくつかには、幸福の最大化、自由の尊重、美徳の涵養といったことが何を意味するのかについて見解の相違が表われている。また別の議論には、これらの理念同士が
衝突する場合にどうすべきかについて意見の対立が含まれている。政治哲学がこうした不一致
をすっきりと解消することはありえない。だが、議論に具体的な形を与え、われわれが民主的市民として直面するさまざまな選択肢の道徳的意味をはっきりさせることはできる。

暴走する路面電車で犠牲者を数で判断するのか多くの人を救うのに1人を殺していいのか?という道徳的ジレンマについてどの選択が正義なのか?

アフガニスタンのヤギ使いを解放するか殺害するかの選択に迫られる。正義と不正義、平等と不平等、個人の権利と公共の利益が対立する場面で進むべき道を見つけ出すのにどうすればいいのか?道徳を巡る考察は社会全体で取り組むべきであり、隣人、同僚などと対話しなければならない。自分だけの内省だけによって正義の意味や最善の生き方を発見することはできない。正義に関する自分自身の見解を批判的に検討して、自分が何を考え、また何故そう考えるのかを見極めてみるべきです。

第2章 最大幸福原理 功利主義

漂流した船で食べ物がなくなり、死にかけたので同僚を殺して肉を食べて生きながらえた。殺して食べなかったら飢え死にしていたのだが果たして道徳的にどうすればいいかというジレンマの話。

ジェレミーベンサムの功利主義
イギリスの道徳哲学者であり法制改革者でもあったベンサムは功利主義の原理を確立した。その中心概念は簡潔で、それは道徳の思考の原理は幸福、すなわち苦痛に対する快楽の割合を最大化することだというものです。全体的な幸福の増進を優先する考えです。

功利主義論への反論

満足の総和だけにこだわるため、個人の権利を尊重しない。人間とライオンと戦わせる娯楽、テロの容疑者の拷問など道徳的にどうなのか?

道徳的に重要なことを快楽と苦痛という単一の尺度に還元するのは誤りだ。

そしてミルというもう1人の功利主義が人間味のある解釈で解説する。

第3章 私は私のものか?リバタリアニズム自由至上主義

資本主義で大金持ちになった人は富を貧困層に分配するべきか?もしくは課税。稼いだ財産を取り上げて働く意欲を減退させはしないか?の話。自分の金を好きなように使う自由を主張する考えをリバタリアン(自由至上主義者)という。リバタリアンの理論が正しければ近代国家の活動の多くは不法である。
オートバイに乗る時のヘルメット着用の自由、売春や同性愛の自由、富の再分配の拒否など。

自分の稼ぎに課税されるということはその稼ぎのために費やされた時間、労働はいわば強制労働させられていることと同じではないのか。いや、課税は強制労働ほど悪くないという反リバタリアンの主張。

リバタリアンの考えなら臓器売買は自由なはずだが、例えば腎臓を移植するのではなく鑑賞用に腎臓を購入するのも自由なのか?

リバタリアンにとって自殺幇助は、末期患者のケースでは人間は命を守る一般的義務を負っていると信じている人でさえ場合によっては慈悲を求める権利のほうが守るべき義務よりも大切なことがあると主張する。

リバタリアンの論理でいけば合意による食人も裁くことはできない。

第4章 雇われ助っ人 市場と倫理

市場の役割の話
お金で買えないもの、お金で買ってはならないものはあるか?もしあるとしたらそれは何であり、それを売買することのどこがいけないのか?一方はリバタリアニズムの観点から自発的な取り引きは自由を尊重している。他方は功利主義の観点から全体の幸福を促進するという考え。どちらも利益をもたらす限り全体の効用を増大させる。しかし市場懐疑論者は市場は見た目ほど自由ではないし、金銭で売買されると腐敗したり悪化したりする。

では金銭を払って他人にやらせることの倫理について考えると、アメリカ南北戦争やベトナム戦争の時は徴兵制でお金を支払えば身代わりを見つけて替わってもらったら戦争に行かなくてもよかった。現在は国民が支払った税金が兵士に流れる仕組みなのだが倫理的にどう違うのか?リバタリアンなら昔の徴兵制は強制で一種の奴隷制なので不公平です。しかし金銭で替わってもらったならお互い同意したのであれば、それを止める筋合いはない。よって功利主義から見れば単純な徴兵制より優れている。リバタリアンと功利主義双方の観点からは、現在の志願兵制が最善となる。これらの論法に対する反論は公平性と自由をめぐるものと、市民道徳と公益をめぐるものの議論。

代理母の話。不妊の夫婦が代理出産を依頼したが、代理母が出産直後、赤ん坊の引き渡しを拒否した。金銭で出産を買ったという倫理についての議論。これは裁判になったが、結果は代理出産契約を認めなかった。契約は真に自発的な意思に基づいたものではなく、赤ん坊の売買行為に当たるということです。その後技術が進歩して卵子、子宮、母親をそれぞれ外部委託できるようになり、これまでにつきものだった感情面でのリスクを減らして市場を拡大した。正義の観点から自由市場ではどこまで自由なのか、金で何でも買えてしまうのかという倫理についての議論。

第5章 重要なのは動機 イマヌエル・カント

普遍的人権を信じているなら功利主義の考えは受け入れられないでしょう。長い目で見れば人権を尊重する方が利益を最大化できるし、格差も少なく、モラルも保たれると思うし、ジョン・ロックも無制限の自己所有権は支持していない。功利主義者から見れば自己所有を侵される筋合いはないと主張する。

カントの考えは人間は理性的な存在であり、尊厳と尊敬に値する、です。道徳とは幸福やその他の目的を最大化するためのものでなく、人格そのものを究極目的として尊重することだと主張し、功利主義と相反する。カントが認めているのは正義と道徳と自由を結び付けることです。

カントが功利主義を認めない理由は一時的な欲求から道徳原理を導き出そうとするのは道徳の考えとして間違っている。何が基準になるかは、神なのか?しかしカントは神ではないと言う。カントはキリスト教だが神の権威を道徳の基準にしなかった。その代わりカントは「純粋実践理性」を実践することで道徳の最高原理に近づくと述べた。理性の能力は自由の能力と結びついている。この二つが組み合わさることで人間は動物とは一線を画す独自の存在となる。これらの能力が人間を理性的欲求しか持たない生き物以上の存在とするのだ。

カントが言う自由とは欲望のまま行動している時は本当の意味で自由でない。欲望に反応しているだけです。カントが言う自由は自律的に行動することです。ある行動が道徳的かどうかはその行動がもたらす結果でなくその行動を起こす意図で決まる。
正直であるために正直な行動を取ることと、利益のために正直な行動を取ることの間には道徳的に重大な違いがある。

カントはゆきずりのセックスには反対している。単に性欲をみたすだけのものだから。臓器売買も反対、売春、嘘も反対、とことん正義である。

第6章 平等を巡る議論 ジョン・ロールズ

同意に関する平等、不平等の話。

第7章 アファーマティブ・アクションをめぐる論争

企業の雇用や大学の入学選考において人種や民族を考慮するのは不公平か?過去の過ちを補償する、多様性を促進するために是正するのは公平なことなのか?の議論。法哲学者ロナルド・ドゥウオーキンは学生の能力や徳に報いることが入学許可の正義ではないと主張する。大学が使命を定義することによって初めて合否を判断するための公正な方法が決まる。使命が評価すべき能力を定義するのであってその逆ではない。

それなら大学の使命と一致するならどんな選考方針も正しいのか?キリスト教の大学がユダヤ人の入学を制限することはいいのか?ドゥウオーキンは人種隔離時代に行われていたのは人種のみを根拠に相手が劣っていると決め付ける行為だったが今日の人種優遇措置はだれかを侮辱したりするものではない。
では公営住宅の入居の場合は否です。公営住宅と大学では人種と民族の多様性を実現する方法は違うし、争点も異なる。

第8章 誰が何に値するか? アリストテレス

アリストテレスの正義論

・正義は目的に関わる。正しさを定義するには問題となる社会的営みの「目的因(目的、最終目標、本質)」を知らなければならない。

・正義は名誉に関わる。ある営みの目的について考えるーあるいは論じるーことは、少なくとも部分的には、その営みが称賛し、報いを与える美徳は何かを考え、論じることである。

以上のようにアリストテレスの考えは正義をめぐる論争は名誉、美徳、善良な生活をめぐるろんそになる。

物の正しい分配法を決めるには分配される物の目的を調べなくてはいけない。

アリストテレスにとって政治の目的は目的にかかわらず中立的な権利の枠組みを構築することではない。善き市民を育成し、善き人格を養成することなのだ。絶えず道徳的に行動して習慣づけることが大事です。

第9章 たがいに負うものは何か? 忠誠のジレンマ

第10章 正義と共通善

まとめ

様々な例を出しながら正義について議論がくりひろげられるが、どれもジレンマで雁字搦めになる。正義について見方が変われば答えが変わるので答えを求めるのでなく問題について考え続けることが正義だと著者は言いたいのだと感じる。政治哲学者だけあって最後は捲し立てるように自身の政治哲学を披露していて政治に対する著者の熱意が伝わる。本書は様々な角度から物事を考察するので柔らかい思考が身につく。しかも哲学書であり、中盤から後半にかけては著者の熱量が凄いが、全体的には噛み砕いて解説しているのでわかりやすい。

著者 マイケル・サンデル 政治哲学者

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