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論語と算盤 渋沢栄一 要約

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はじめに

渋沢栄一は近代日本の設計者の一人に数えられる偉人です。明治維新後、政治の分野で日本の基礎を作り上げたのは大久保利通、伊藤博文、井上馨たちです。渋沢栄一は資本主義の制度を設計した人物です。資本主義は利益を追求する考えなので時には暴走を起こす可能性を孕んでいます。その暴走に歯止めをかける手段が中国の古典である論語なのです。本書は渋沢栄一が書いたわけではなく、栄一の講演の口述を編集したものです。「人がより良く生きるには」をテーマにしています。

第一章 処世と信条

菅原道真は「和魂漢才」日本人たるものヤマト魂を基盤としなければならないとした。それと中国の良き文化や学問もあわせて修得して才能を養わなければならない。

渋沢栄一は「士魂商才」武士の精神が必要であるのは言うまでもない。それと商才がなければ経済的に自滅を招くようになる。商才を養うには道徳を養わなければならないとすれば論語によって養うことが出来ます。

徳川家康の「神君遺訓」も、その殆どが論語の教えから来ている。

「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し」は論語の

「指導的立場の人は広い視野と強い意志力を持たなければならない。なぜなら責任が重く道も遠いからである。なにしろ、仁の実現を我が仕事のするのだ。重い仕事といわざるを得ないではないか。さらにそういう責任を背負って死ぬまで歩き続けるのだ。遠い道と言わざるを得ないではないか」

また遺訓にある、「己を責めて人を責めるな」は論語の

「自分が立とうと思ったら、まず人を立たせてやる。自分が手に入れたいと思ったら、まず人に得させてやる」

「及ばざるは過ぎたるより勝れり」は

「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」と孔子の教えと同じ。

よって社会で生き抜いていこうとするなら論語は熟読すべきなのです。

渋沢栄一は明治六年(1873年)、日本は政治、教育において着々と改善していく必要があった。それよりも増して商売がもっとも振るわなかった。これを改善していかないと日本は豊かにならないと考えた。そこで論語を教訓として一生商売をやることを決心した。

論語の教えは広く世間に効き目があり、農民や職人、商人など分け隔てなく通ずる教えです。

社会を進歩させていくには時には争うときもある。しかし、あえて争いを避けてチャンスが来るのを待つ忍耐も世の中を渡ってゆくには必要です。

人を適材適所に配置するのは才能の向き不向きを見分けなければならない。徳川家康はこの能力に目を見張るものがあります。しかしこの能力を自分に有利になるよう

に行使したところは栄一は共感しませんでした。栄一は国家社会に貢献するように配置するべきだと主張します。私心を持たず相手の意見を聞いて持ちつもたれずお互

い信頼しあう関係であるべきです。

争いは良いのか悪いのか?栄一は争いは断じてなくすべきでなく世の中を渡っていく上で必要であると主張する。孟子は「敵国や外患がないと、国は必ず滅んでしまう」と語る。ライバルがいないと成長しないのです。同じく優しすぎる先輩も後輩の奮発心を鈍らせるので、真の利益になるかどうかは疑問です。

常に人生には波乱にさらされることがある。逆境に立たされる人は是非ともその原因を探り、それが人的なのか、人にはどうしようもない逆境であるのかを区別すべきです。どうしようもない逆境の時はその人の真価が問われる時です。正しい筋道は、自分の本分(自分の社会での役割)だと覚悟し、コツコツと挫けず平静に対処するのです。一方、人的な逆境の対処法は、自分が招いた結果なので自分を反省して悪い面を改め、本気で頑張るのです。

世の中には自分の力を過信して身の丈を超えた望みを持つ人がいる。身の丈を守らないと間違いを引き起こすこともあるが、かといって意欲的に新しいことをする気持ちは忘れてはいけない。だからこそ大きな仕事を成し遂げるためには、細事にこだわるべきでない、男子たるもの一度決意したならのるかそるかの快挙を試みるべきだ。

若い人は喜怒哀楽に注意すべきです。喜怒哀楽はバランスをとることが大事です。何事も誠実に。

人の災いは得意な時に喰い入ってくる。ならば世の中で生きていくには得意な時には気持ちを緩めず、失意の時には落胆せず、いつも平常心で道理を守り続けることが大事です。また同時に「大きなこと」、「些細な事」への綿密な心掛けが必要です。

総じて調子に乗ることは良くないです。

名声とは常に困難で行き詰まった日々の苦闘の中から生まれてくる。失敗とは得意になっているときにその原因が生まれる。

第二章 立志と学問

幕末から明治維新当時、武士への教育はレベルの高いものがそろっていた。しかし農工商への学問はほとんどなかった。栄一は海外と渡り歩いてゆくには科学的知識が必要だと訴えていた。また基本的な道徳、精神教育が足りないと思っていた。

新人のうちはどんな些細な仕事でもそれは大きな仕事の一部なので精いっぱい取り組むべきです。不平を言うのも、力を入れないのもダメです。かの木下藤吉郎も貧しい身分から関白まで出世した。千里の道も一歩からです。

孔子が志を立てたのは15歳から30歳です。30歳で決心し、40歳で初めて志を完全に立てた。志を立てることは人生という建築の骨組みであり、小さな志はその飾りです。だから最初に組み合わせをしっかり考えないと後日、壊れることになりかねない。志を立てる要は良く己を知り、身のほどを考え、それに応じてふさわしい方針を決定するのです。栄一自身も初めは武士を志したが30歳で実業界に足を踏み入れたが、もし初めから実業界に入っていれば14〜15年という無駄な時間が無ければまた違った栄一になっていただろうと後悔している。

正しい道を進むには時には争わなければならないこともある。争いを避けて世の中を渡ろうとすると善が悪に負けてしまい、正義が行われないようになってしまう。人にはこれだけは譲れないというものがあってほしいものです。

成果を焦っては大局を観ることを忘れ、目先の出来事にこだわってはわずかな成功に満足してしまうかと思えばそれほどでもない失敗に落胆する。高学歴で卒業した者が社会で問題を見誤るのはこれが原因です。

第三章 常識と習慣

栄一曰く常識とは

何かをするとき極端に走らず、頑固でなく、善悪を見分け、プラス面とマイナス面に敏感で、言葉や行動がすべて中庸にかなうものこそ常識です。

智、情、意(知恵、情愛、意志)

「智」とは

人として知恵が発達していないと、物事を見分ける能力に不足してしまう。

「智」ばかりではダメで、そこに「情」がうまく入ってこないと能力は十分に発揮されない。自分の利益のためには他人を蹴飛ばしても気にしない。これではダメです。

「情」とは

バランスを調和する一種の緩和剤です。情が無ければ何事も極端に走ってしまいます。「情」の欠点は流されやすいことです。そこで「意志」が必要になってきます。

「意」とは

精神活動の大本です。強い意志があれば人生において大きな強みを持ちます。しかし意志ばかり強いと頑固者になってしまいます。

意志が強く、聡明な知恵を持ち、これを情愛で調節する。これを大きく成長させていってこそ完全なる常識となります。

栄一は様々な人を分け隔てなく接することを心がけています。道理にかなっていればその人のため、さらには国家社会のために自分の力の及ぶ限り力を貸します。相手に憎むところがあっても相手の美点を尊重します。

習慣はその人の人格に影響してくる。良い習慣を身につけると善人になり、悪い習慣を身につけると悪人になる。しかもそれは人に伝染する。習慣を身につけるには少年時代が大事です。若い時に身についた習慣は忘れにくく、終世変わることはないです。特に勤勉や努力する習慣は大事です。

人の行為が良いのか悪いのかは、その「志」と「振る舞い」を見て考えなければならない。

物事を冷静に判断する、無意識のうちに流されずに最後まで自分を見失わないようにすることが「意志の鍛錬」です。普段から良く鍛錬しておくことが大事です。

第四章 仁義と富貴

本当に正しく経済活動を行う方法は社会のためになる道徳、道理を持たないと少しずつ衰えてしまう。

経済活動と富と地位を孔子は「道理を伴った富や地位でないのなら、まだ貧賊でいるほうがましだ。しかし、もし正しい道理を踏んで富や地位を手にしたのなら、何の問題もない」と考えた。

栄一曰く、論語と算盤は一致すべきものである。経済と道徳は調和しなければならない。お金もうけでも金銭には罪はない。真っ当な富は正しい活動によって手に入れるべきものである。

お金を大切にするのはもちろん正しい事ですが、必要な時に正しく使うのもそれに劣らず良い事です。良く集めてよく使い、経済活動の成長を促すべきです。無駄に使うのは戒めなければならない。守銭奴にもならないように注意すべきです。

第五章 理想と迷信

仕事に取り組む時は、単に務めるだけでなく、理想や思いを付け加えて実行していくべきです。

道徳という文字は中国古代の伝説上の時代の「王者の道」という意味が語源です。昔の聖人や賢人の説いた道徳はいつの時代も不変です。

毎日新たな気持ちでという心がけは大事です。自分にあてがわれた仕事を機械的にこなしていると溌剌とした元気が失われていきます。

文明を本当の文明に高めていくには経済的豊かさと力強さ、この二つのバランスが大事です。国民は一致してこのバランスを保つように努力しなければならない。

第六章 人格と修養

人が動物と異なる点は道徳を身につけ、知恵を磨き、世の中のためになる貢献ができるという点です。

人の真価というのは、その人が社会のために尽くそうとした精神と効果によって行われるべきものです。

自分を磨くのは理屈ではない。家康の遺訓には

「人の一生は、重い荷物を背負って遠い道のりを歩んでいくようなもの、急いではならない」不自由なのが当たり前だと思っていれば足りないことはない。など理論と現実とを上手く調和して結果を出している。よって自分を磨くとは、現実の中での努力と勤勉によって知恵や道徳を完璧にしていくことです。

実際に効果のある人格養成法は仏教に信仰を求めたり、キリスト教訓から信念を汲み出すのも良い。孔子や孟子が唱えた「忠 」良心的であること

「信」信頼されること

「孝弟」親や年長者を敬うこと

を重視するのも人格養成法です。

第七章 算盤と権利

資本家は「思いやりの道」によって労働者と向き合い、労働者もまた「思いやりの道」によって資本家と向き合い、両者の関わる事業の損得は、そもそも共通の前提に立っている。

道徳というのは世の中の人すべてが歩むべき道です。

孔子も「親や目上の者を大切にすることは、仁という最高道徳を身につける根本である」と言っている。

どんな仕事にもかかわらず、商売には絶えざる自己開発が必要です。また、気配りも続けなければならない。

一個人の利益になる仕事よりも、多くの人や社会全体の利益になる仕事をすべきです。

第八章 実業と士道

武士道とは

「正義 」皆が認めた正しさ

「廉直 」心が綺麗でまっすぐ

「義侠 」弱気を助ける心意気

「敢為 」困難に負けない意志

「礼譲 」礼儀と譲り合い

第九章 教育と情宣

親孝行を要求したり、強制したりしてはいけない。

子供に孝行させるのではない。親が孝行できるようにしてやるべきだ。

昔は心の学問だった。親や目上を大切にすること、礼儀やケジメ、勤勉で質素な生活を尊重するよう教えた。

今の教育は知識を身につけることを重視している。

第十章 成敗と運命

大いなる楽しみと喜びの気持ちを持って事業に携わっていくなら、精神が溌剌として素晴らしい発見をし、社会のためになる。

天から下される運命は人間が意識しようがしまいが、すべての物事に降り注いでいます。運命に対して礼儀正しく、敬いの気持ちで、信頼する態度で臨むべきです。

賢者も愚者も、生まれたては同じです。しかし、学問をしないことによって辿り着く先が異なってしまう。

悪い人間はいくら教えても聞いてくれない。良い人間は教えなくても自分でどうすればわかっていて、自然に運命を作り出していく。だからこの世の中には順境も逆境もないのです。

成功や失敗というのは、心を込めて努力しはただ成功や失敗だけを眼中に置いて、それよりももっと大切な「天地の道理」を見ていない。物事の本質を命とせず、カスのような金銭や財宝を魂としてしまっている。人は人としてなすべきことの達成を心がけて、自分の責任を果たして、それに満足していかなければならない。

論語と算盤p218

成功や失敗の良し悪しを議論するよりも、まず誠実に努力することです。そうすれば公平無私なお天道様は必ずその人に幸福を授け、運命を開いていくよう仕向けてくれます。

成功や失敗といった価値観から抜け出して、自立し正しく行動し続けるなら成功や失敗などとはレベルの違う価値ある生涯を送ることができる。成功など人としてなすべきことを果たした結果生まれるカスに過ぎない以上、気にする必要など全くありません。

まとめ

中国の古典である論語を基に人生を歩んでいくのに必要な教訓が示されています。いつの時代にも通用する黄金の法則であります。100年以上読み継がれる名著です。

著者 渋沢栄一

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