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テレビは見てはいけない 脱・奴隷の生き方 苫米地英人 要約

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はじめに

企業はCMで自社の商品を宣伝するが、今ではリアルタイムにTVを見る人は減少し、録画して見る人が増えたため、CMはスキップされてしまいます。そこで企業は番組内でさりげなくスポンサーの商品を映し出して、視聴者には広告だと気づかせずに商品の性能や特徴をアピールする「プロダクト・プレイスメント」という手法が用いられています。これは従来のCMより効率が良く、確実に商品の情報を視聴者に伝えることが出来ます。しかし、この手法は見る人には広告と明示せずに一定の価値観を埋め込んでいくので洗脳と同一原理に則った行為になります。脳科学の観点から考えればプロダクト・プレイスメントという広告手法は洗脳そのものと言っても過言ではないです。現代の日本人は受けても送りても気づいていないこうしたテレビによる洗脳に子供のころからずっとさらされ続けていて、こうして植え続けられた価値観や、目標に縛られている人が多いです。著者はテレビ局に対して番組のアドバイスや企画のプロデュースなども行っており、メディアとも深く関わっていてその当事者としてこうした現状に精通しています。

本書は著者の経験から、どうすればメディアの洗脳から解放され自分自身の考えを取り戻すことが出来るのかを解説しています。

第一章 テレビは見てはいけない

視覚からの情報は人間にとって最も重要です。聴覚、臭覚、触覚、味覚から得られる情報に比べて圧倒的な情報量をもたらすのが視覚です。なのでテレビは新聞やラジオなど他の媒体に比べても圧倒的な影響力を持っています。インターネットの普及によりテレビ離れが指摘されていますがそれでもなお多くの人々に影響力を与えるのはテレビであることは間違いないです。テレビの視聴率1%は120万人が見ていることになります。

テレビは映像を中心に人間の視聴情報に訴えかけることが可能なメディアで同時に何千万人に同じ情報を与えることが出来るので洗脳装置として優れています。

テレビによる洗脳の仕組みはもともと人間に備わっているホメオスタシスが意識の内部変化に対応するので自分では意識していなくても本能のレベルで内部意識が書き換えられてしまうのです。恋人と楽しい時間を過ごしていると「幸せだな」と感じたり、怖い映像を見ると脈拍が早まったり、手に汗をかいたりするのもホメオスタシスが働いているからです。

テレビが大変優れた洗脳装置であることを証明しているのが政治や選挙です。テレビに出たタレントが立候補すると当選しやすいです。もし彼らがテレビに出ずに立候補していたなら果たして当選していたかどうかは疑問です。テレビで見慣れた人物に対して自然と好意を抱くようになるのは「ストックホルム症候群」と呼ばれる現象で心理学用語で「ラポール」という感情が原因です。ラポールとは「心の架け橋」という意味で人間関係において相互に信頼しあっている感情の事を指します。著者はテレビの影響力の強さを実感しているので、不公平感をなくすために「選挙で立候補したい人は向こう三年テレビに出てはいけない」という法律を作るべきだと主張しています。

著者はキーホールTVというP2Pインターネットテレビのサービスを提供しています。これはインターネット上で動画映像の送受信ができます。これを開発した目的はP2Pを研究することで従来のコンテンツに人が集まるのではなく、発信者がコンテンツごとに発信することでネットワークに負荷がかかりすぎる「ブロードバンドボトルネック」を解消するためです。キーホールTVは瞬時放送が可能です。実は従来のテレビは3秒の放送遅延が発生していて、非常事態などでは致命的になります。Youtubeもデータ形式がMPEG方式なのでリアルタイム放送はできません。それと、個人が放送局になれますので哲学者ミシェル・フーコーがかつて主張した相互監視装置が出来上がり、世界が平和になる可能性が高まるのです。

P2Pの利点は巨大なサーバーを自前で持つ必要がなく、データの所在が分散できます。しかも電力消費も少ないです。一方Googleはアメリカ北部にある巨大水力発電所の近くにデータセンターがあり日本のメガバンクのデータの三分の二がそこにありますし、攻撃されてデータが失われればとてつもないリスクになります。それと電力消費も莫大です。

著者は雑誌の経営もしていて「サイゾー」というメディアと政治をウオッチする雑誌です。サイゾーは資本と広告が独立しているために一切のタブーがありません。

このように著者がメディアビジネスに乗り出しているのは既存のテレビや雑誌が御用メディアに堕してしまっているからです。御用メディアの弊害は権力者に都合の良い情報を正義の名のもとに流すことで国民がミスリードされる危険性があることです。そうではなく国民に不利益をもたらしているシステムの欠陥や問題点を知らしめるのがジャーナリストの役割だと主張しています。

メディアは公共性が高く求められる業種です。正しい報道がなされていることが大事なのです。

お笑い番組やクイズ番組が多いのは制作費が安いからです。報道やドラマなどきちんとした番組を作るにはまとまったお金が必要です。製作費が安いからと言って安直な番組を作り続けることは本来見るべき価値のあるものはどんどん少なくなります。番組制作には構成作家が関わっていて彼らの知識の低さや視野の狭さが低品質な番組が乱立している原因の一つでもあります。そのような中から世論が形成されてしまっているのは非常に問題です。誰もが作り手に参加できる仕組みを考えることが急務です。

私達がテレビとの正しい向き合い方は「多面的な視点」を持つことです。一つのニュースを見たらなぜそのようなニュースが放送されたのかを考える。スポンサーは誰か?キャスターの思想信条は?番組の担当ディレクターは誰か?その報道で誰が得をするか?ということにも目を向ける。すると簡単には情報操作に引っかからなくなり、テレビを視聴するときに限らず世の中のものの見方が立体的に見る力が養われます。

今日ではインターネットの視聴者がテレビの視聴者の数を抜いたともいわれています。インターネットの利用者は基本一人で画面に向き合いますのでテレビ以上に洗脳の道具に利用されやすいです。

視聴者が知らないテレビ業界には不透明な金の流れがあります。どの番組に誰を出演させるかで大きなお金が動いています。テレビの放送時間、出演者、番組数などパイが決まっていますのでその枠を獲得するにはどうしてもお金の力が働くのです。

リーマンショック後の不況の煽りを受けてテレビ業界も広告収入が減ってきて番組制作に昔ほどお金をかけることが出来なくなったために必然的に番組のクオリティも低いものが多いです。テレビ業界の閉鎖的な世界が競争原理が働かず、自浄作用もないことは問題であります。新聞業界もしかり。メディアの既得権益、支配層は昔から変わっていません。

著者はカリスマ美容師ブーム、脱毛の常識化の火付け役でもあります。マニアックな嗜好がテレビによって大衆化するときブームが起こります。これらブームにもテレビは大きく関わっています。ブームもいわゆる社会的な洗脳です。メディアの力は経済活動や政治活動には欠かせないのです。

最近、スピリチュアルや霊能力の番組がなくなったのは霊感商法の被害対策に取り組んできた団体によるクレームです。スピリチュアルの類の情報で自ら命を絶った事例が毎年三万人という報告があります。現世の苦しみを味わうよりは死んでしまった方がいいと考える人たちを生み出している罪深さを自称霊能者やテレビ局の制作者たちは自覚すべきです。

欧米では何百という多チャンネルが普通です。日本では数局しかないのがほとんどです。これは新規参入を許さない業界の体質と仕組みです。GHQの時代からの電波利権がいまだに続いているのがおかしいのです。昨今の不景気による製作費の縮小等を機に業界を変革するチャンスです。すべてのチャンネルをオープン市場化することにより活性化されてより良いコンテンツが増えるようになればいいと著者は訴えています。

第二章 脱・奴隷の生き方

この章が著者が訴えたい重要な内容が述べられています。

アメリカで有名なメンタルコーチのルー・タイスが考案したモチベーションプログラムはグリーンベレーの教育にも採用されているのだが、タイガーウッズも父からルー・タイスプログラムを受けた。そのプログラムとは一言で洗脳です。「いかに高い自己イメージを維持するか」という思考の技術で、徹底して自己イメージを高く持ち、その自分にそぐわない行動をとれば不快を感じる自我を構築するものです。従順な社員を育てたり、他社から植え付けられた価値観から自由になり自分が本当にやりたい夢を見つけてその夢に向かって無意識が自動的に動き出すようにもできます。ルー・タイスプログラムは子供用にも改良されたものがあり、世の中に貢献できる大人に成長することが出来ます。

犯罪者の多くに共通するのが自己評価の低さです。それは多くは子供の時に親や周囲の環境から植え付けられた価値観のまま大人になったものです。自己否定からくる自暴自棄な考えが犯罪へと繋がる「負の洗脳」の結果です。

どんなことでも目標に取り組むには「自分にはできる」という自信がどれだけあるかが重要です。いかに具体的にイメージするか。そうすることで無意識のレベルで脳内に描くことが出来、自己イメージと同一化できれば自然と無意識に現実の自分を近づけていこうとします。原理は、現実の自分とイメージの間のギャップを埋めようとホメオスタシスが働くからです。人間は快適に生活できる外部環境にはある程度の幅があり、その幅をコンフォートゾーンと呼びます。そのコンフォートゾーンから外れそうになると自動的に大脳の前頭前野の進化によってホメオスタシスが心理的な面においても埋めるように働くのです。

コンフォートゾーンは自分の理想とする高さに設定できます。やり方は

1.暫定的なゴールを一つ設定する

2.そのゴールを満たした未来が必ず来ることをリアルに思い浮かべる

3.その場合自分は現在どうあるべきかを徹底的に吟味する

こう考えることで目標への道筋が自然と見えてくるようになります。こういう能力は人間には備わっているのです。

自分を変えるには非常に高い荒唐無稽な目標がいいです。

現状に満足している人は洗脳されている可能性が高いです。人間は今の自分より向上したいと本能的に考えるものです。

自分の価値観を押し付けて子供の可能性をつぶしていることに気づかない親をドリームキラーと言います。最近の発達心理学の研究では人の判断基準のほとんどは自分の親に植え付けられた価値観に基づいているとされていて、それだけ幼少期の親の影響は強いです。

現状に満足している人は過去にドリームキラーによって埋め込まれた価値観の影響がないか確認した方がいいです。

人間の脳は情報のすべてを処理しているわけではなく、ごく一部しか処理していません。すべてを処理していては直ぐにパンクしてしまいます。人間は重要度の高いものから処理しようとするので自分のコンフォートゾーンから外れたところにあるものは重要度が低いためスルーされやすいのです。コンフォートゾーンを意識的にずらす意味はそこにあります。

社会的関わりを持っていれば周囲とうまくいかないことは良くあります。それは自分のコンフォートゾーンから外れた場にいることを意味します。そうした状況に我慢していると健康面、心理面に弊害が生じてきます。具体的にはIQが下がります。ストレス状態にあると物事を俯瞰してとらえて判断することが出来なくなります。

ディベートでは相手を怒らせると勝てる確率が飛躍的に高まります。怒ると論理展開が崩れていくからです。日本はディベート文化の国ではないので議論で相手を怒らせるとけんかになります。アメリカでは相手を怒らせることは交渉においてよくあることです。

人はコンフォートゾーンにいる時は悲しくなったり怒ったりしません。普段から気分が沈みがちだったり、怒りっぽいと自分がコンフォートゾーンにいない可能性が高いです。

モチベーションを上げたいときは、現状に満足していないことを認識して「未来のなりたい自分」「将来の成功した自分」のセルフイメージを持つことです。ゴールは現状の外側にあることを認識してそうすれば、今はどういう状態になければならないか、何をなすべきかが明確になります。

良い教育とは子供が自分から進んで知識を習得したくなる環境を整えてあげることです。知りたいという欲求があればどんどん新しい知識を吸収できるようになります。

知識を習得する行為は人間のホメオスタシスの一つです。生物として足りないものがあると感じるからこそ学習意欲がわくのです。

日本人は昔から自分を束縛してくれる教えを好む傾向があります。著者の言葉で言えば「奴隷の思想」です。お上の言うことを聞くのを良しとしてきましたので民族的に「奴隷の思想」が身についています。自分の行動を何らかの価値に合わせて徹底的に束縛することが良い事であるということに洗脳されてしまっているのです。常に外部の何かしらの評価軸に従う生き方を続けていくのです。それこそが奴隷化です

マナーを教え諭す、行動の規範を事細かく再現する、その通りに行動する自分が正しいと思えることに安心するのは「情報空間における化粧」と言えます。それは差別思想を含んだ儒教的な思想が残存しているようです。上位者に従うことが最も優れた態度である、そうでなければ幸せな人生を送れないという正義の名を借りた強制システムがそこには働いています。儒教とは支配者にとって都合の良い奴隷を作るための教えなのです。これからの世界は「支配の理論」は必要のない考えです。女性は良妻賢母になることが最も素晴らしい生き方であるという価値観も一種の洗脳です。会社で働く営業マンはノルマを達成することが仕事の至上価値のように教えられるのも洗脳です。

何かしら他人に「こうしたほうがいい」と言われたらそれは本当に自分がしたい事なのか、一旦考えてみるべきです。盲目的に受け入れていると知らず知らずのうちに奴隷状態に置かれる危険性があります。問題なのはそうした状態が楽に感じてしまうことです。それがコンフォートゾーンとして定着してしまうと抜け出せなくなります。

「郷に入れば郷に従え」を思考停止のまま実践してしまうと奴隷状態になります。フレンチのレストランに行ってもフォークとナイフで食べる必要はなく、箸で食べてもいいのです。

マナーとは人と人どおしの心地よい関係を作るための方法論として生まれてきました。マナーは処世術なのです。単なる処世術が人の行動を縛り付けるのは本末転倒です。マナーは誰から強要されるものでない自主規制です。マナーにやたらうるさい人がいますが、マナーを後生大事に身につけ、品格と建前に気を使いあくせくするのは、それは本音のない付き合いです。

人間が本当に欲しいもの愛情、信頼、尊敬などはお金では手に入りません。「やりたいことをやっていては経済的に成り立たない」と思うのは、そう思う自分は洗脳されていると認識した方がいいです。やりたいことをやっても生きていくことはできるのです。日本という国にいる以上餓死することは考えられないのです。借金を背負ったとしても自己破産できますし、社会保障もしっかりしていますのでどんな状況になっても死ぬことはないですから迷わず好きなことをやるべきです。

第三章 日本人はなぜお金に騙されやすいのか

私達は気づいていないだけでフィルターを通して世界を認識しています。例えば美人の基準も時代によって違います。それもメディアによって刷り込まれています。

人間は世界を情報として認識します。今、目の前に見えるもの、物体に当たって反射した光の信号を神経が電流に変えて大脳に送り、大脳の前頭前野で処理されて海馬が保存していた記憶と照らし合わせて認識される。すべては脳の情報処理なのです。今のところ肉眼より優れたメディアは開発されていませんが、肉眼は3000万画素位のものなので将来肉眼より優れたツールが出てくる可能性はあります。近視の人が眼鏡をかけることで良く見えることもツールを使って良く見えています。

著者は、真に意味がある投資は教育だと主張しています。真に付加価値のあるものを作り出せる人間を育てることがこれからの日本人が世界で幸せに生きていく道なのです。

映像、アニメ、コンピュータ、文学など手に触れることのできない仮想空間のコンテンツに付加価値を生み出すことが、今後の日本を支えていくでしょう。金融の仕事は単にお金を刷るだけの仕事です。そこには何一つ新しく生み出される価値はありません。

これからは自分のアウトプットを自分のためだけに使うお金に換えるような生き方は軽蔑されます。自分のアウトプットを他の人のアウトプットに換えるような活動をしていくべきです。欧米の真似をするのでなく、一人一人が違うことが当たり前であり、だれが上でも下でもない、そんな価値観を標榜する国になっていくべきです。

まとめ

本書のメインテーマは、メディアや誰かから価値観を盲目的に受け入れるのでなく、主体的に人としての価値観を尊重して生きていくべきだと述べています。第2章、第3章が著者の訴えたい熱い主張が披露されています。第1章ではテレビによる洗脳で、わりと読者も認識している内容ですが、読み進めていくうちに内容が深くなってきて読みごたえがあります。テレビなどで聞く著者よりも書籍での著者の主張はわかりやすいです。イメージより良書です。

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