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サブリミナル・マインド 潜在的人間観のゆくえ 下條信輔 要約

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はじめに

人は自分で考えているほど、自分の心の動きを分かっていない。自覚がないまま意思決定をし、自分のとった行動の本当の理由には気づかないでいる。自分でも気づかない無意識的な心の働きに強く依存している。人間科学の研究が進むにつれ、認知過程の潜在性、自動性というドグマ(教義)はますます明確になり、人間の意思決定の自由と責任に関する社会の約束ごとさえ覆しかねない。潜在的精神を探求する認知、行動、神経科学の進展が進むにつれ「精神」観、「心身」観のズレが限界を超えて大きくなっている。浮かび上がった新しい人間観とは。

第一講 自分はもうひとりの他人である

人は自分自身な態度、感情その他の内的状態を、いかにして知るか?

まず自分自身の目に見える行動を観察し、また周囲の状況を観察し、推測することによって知る。つまり、外的な手がかりにも必然的に頼らなければならないのです。

内的手がかりも強くはないです。その理由は、個人の心の中に互いに矛盾するような二つの「認知」があるとき、認知的不協和と呼ばれる不快な緊張状態が起こり、それを解消しようとする動機付けが生じる。外的な要因による「認知」は変えようがないので結果として内的な「認知」の方が変わる。つまり、感情の変容が起こるのです。これは本人も気づかない無意識的な理由づけです。

例えば高級な贅沢品は品質が同じなら値段が高い程、購入したときの満足度が高いという、払った犠牲が大きいほどその結果がつまらないとは認めたくない心理です。無自覚のうちに辻褄あわせをしてしまうのです。

本人にしかわからない私的な刺激に左右されると思われている自己記述も、実は他者が知ることのできる顕在的・公共的な事象に起源を発しているのです。つまり、自分についてどのように認知し、どのような態度をとるかということは、はじめは他人によって、外側から形成されるものなのです。

自己に対する内的な知識は極めて不完全です。それは無意識的な推論によって補われているものであり、極言すれば自分とはもうひとりの他人であるにすぎないのです。

第二講 悲しいのはどうしてか?

悲しいから泣くのか、泣くから悲しいのか。

悲しいから泣くのが常識的です。が、泣くから悲しいのだと主張するのもあります。感情が先に心の中に実在していて、それを顔や全身を使って表現するという一方向だけではないのです。身体の変化が先だとする考えもあります。これらの時間的生起順序・因果関係がはっきりしないのは、本人も自覚していないからで、これは無意識の過程の存在を表しています。

知覚から行動に至る無自覚的な経路がより基本的で、意識的な経験はこうした無自覚的プロセスに対する、後づけの「解釈」に過ぎないです。

生理的興奮そのものは情動の種類にかかわらず、類似しています。極限な状態では生理的興奮は類似性・一般性・曖昧性を持ちます。なので、この生理的興奮を認知的に異なるラベルづけをする過程が情動の経験に重要な役割を果たします。

感情のように生理学的要因に見えるものでも、無意識的なラベルづけの結果である一面が大きい。

行動に顕れる無自覚の認知過程と言語に現れる意識的な過程とは別な可能性があります。私たちの知覚や態度や行動は、いずれも無自覚のメカニズムに支えられていて、私たちが自覚的に体験し、言葉で報告できるのは、ほんの一部の出力の部分だけであるかもしれません。

人は自分の気持ち・行動の本当の理由を案外知りません。そこではたらく過程は非生理的できわめて認知的でありながら、それでいて意識的・自覚的ではありません。意識的過程は結局、意識的過程をしか知り得ないのです。

第三講 もうひとりの私

脳は膨大な情報処理の全てをいちいち意識していたら、私たちの心はパンクしてしまいます。だから脳の情報処理が潜在的であり、無意識的なのは当然です。よって潜在的な心的過程の存在があるのです。

脳の右半球の高度に知的な振る舞いを左半球は直接知ることはできず、絶えず推測しつつ、しかし推測しているとは気づかずに事実として認知している。

両半球は、まるで二人の隣人のように振る舞うと認めなければなりません。

人は自分の認知過程について、自分の行動から無自覚的に推測する存在である。意外に「外的」で「間接的」なものです。

第四講 否認する患者たち

半側障害(片麻痺や半盲などは特に)の患者は自覚症欠如、病態失認ということがある。言語機能の障害もないのにです。これは脳の他の場所から誤った情報を供給されている、あるいは自ら誤った解釈を創り出しているとしか考えられないのです。

第五講 忘れたが覚えている

エビングハウスの研究で潜在的な記憶過程が顕在的な記憶過程の根本に存在している。記憶したものが忘却したと思っても完全に忘却したわけではなく、脳の中に記憶の痕跡が残っていて再認によって無自覚的レベルから自覚的レベルへ移行する。

記憶はひとつのシステムではなく、多元的で複数の脳内システムから成っている可能性があり、そのうちの一部が潜在的・無自覚的であり得る。

第六講 見えないのに見えている

カクテルパーティー効果とはパーティーで話題に夢中になって談笑しているときに背後で自分の名前がでてきたりすると、突然それが聞こえる。というものは理論上ありえます。視覚のほうでも同様の存在が推定されています。

第七講 操られる「好み」と「自由」

認知心理学や社会心理学で「親近性効果」といわれるものは、特定の対象をただ繰り返し経験するだけでその対象に対する好感度が上がる。人に対しても同様に当てはまります。それに、その経験を本人が忘れていてまったく覚えてない場合にも好感度は上がるのです。

このメカニズムをコマーシャルを制作している人達はすでに理解していて、消費者の脳裏に欲望を喚起させる、そういうメンタルな過程が仕掛けられています。

サブリミナルコマーシャリズムが政治的な世論操作や思想統制に直接使われれば大変危険である。

第八講 無自覚の「意志」

目的にかなう行動(随意運動)は大脳皮質の働きと考えられてきましたが、実は小脳などの低次脳と脊髄レベルでも可能であります。つまり、脊髄にはある限定された意識が存在するとさえ言えます。

第九講 私の中の悪魔

日本でも海外でも精神薄弱が原因の罪は罰せないという法律があり、これを逆手にとった犯罪はどう取り扱うのか。潜在的過程が原因だから本人には責任はないという出来事は訴訟大国アメリカを席巻し、やがては日本も巻き込むでしょう。こういうことは、近代の人間像の崩壊になり得ます。

ネズミでさえも密閉された自由に増殖できる環境であってもある程度は増殖するが、それ以降は横ばいか減少傾向になり、同性愛や子殺しが起きている。大都市に住む人間も似た兆候が示されている。環境から受ける潜在的な影響を受けて知らずに流されてるのです。

まとめ

本書は著者が東京大学教養学部等で行った講義をまとめたものです。様々な実験・研究を具体的に解説して体系的に整理されているので非常にわかりやすいです。解説が拡がりすぎると著者自信がまとめてくれるので解説がよく理解できます。

人は自分で思っているほど自分の心の動きをわかっていない。というセントラルドグマに導かれて認知的不協和や自己知覚の理論を学ぶことで、私たちは他人について推論するのと似たやり方で、自分自身の態度を決めています。私たちが思っていた自由とは幻想だったのか、環境に支配されていたのか、社会全体も見えない力に支配されているのか悲観的になりますが著者は叡知や危機的状況を救う洞察も潜在性の海からやってきて、未来の人間像を作っていくとポジティブです。

著者 下條 信輔 1955年東京生まれ 東京大学文学部心理学科卒 2004年より潜在脳機能プロジェクト研究総括兼任

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