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悩む力 姜尚中 要約

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はじめに

現代はグローバリゼーションで経済、思想、文化、娯楽が拡大していますが一方では殺伐とした社会の面もあり、自殺者も少なくないです。

「悩む人間」は運の悪い不幸な人間なのでしょうか。本書は「悩む力」にこそ、生きる意味への意志が宿っていることを、文豪・夏目漱石とマックスウェーバーを通して考えます。

なぜ夏目漱石、ウェーバーなのかは、彼らの作品には我々の悩みへの手がかりになりそうなものが多いです。どのようにして悩みを乗り越えていくか、あるいは悩みながらどのように生きていくか。

第一章 「私」とは何者か

自我とは「私とは何か」を自分自身に問う意識で「自己意識」とも言います。

自我が肥大化すると鬱やひきこもりといった心の病に至ります。

「自我」に悩んでいる人は大抵、「他者」の問題にも悩んでいたりします。

近代社会は個人主義が全盛なので、ますます自我の肥大化をもたらします。しかも誰にでも起こりうる万人の病です。

自我というのは自尊心でもあり、エゴでもあります。他者にも自我がありますから自我が肥大化していくほど自分と他者との折り合いがつかなくなります。

漱石の「それから」や「こころ」は過剰な自我を抱えて悩む人々を描いています。

精神病理学者のカール・ヤスパース曰く「自分の城を築こうとする者は必ず破滅する。」

第二章 世の中すべて「金」なのか

世の中のトラブルの原因は大抵お金が絡んでいます。そのトラブルの解決もまたお金であったりします。

漱石の「こころ」「それから」「明暗」は金は俗物の根源であると表現されています。

ウェーバーもお金というものに対して悩みました。ウェーバーの父親は事業で一財産を築きました。そのおかげでウェーバー自身も何不自由なく育ち一流の教育を受けて学者として成功しました。しかし、父と対立し、それでも父の財力に依存するというジレンマに悩み、父の突然死などもあって精神に支障をきたしていたのではないかと言われていました。

同じ時代を生きていても年齢が20歳〜30歳離れていると意識に開きが出てきます。時代を創ってきた人は満足感がありますが、生まれて既に出来上がっている環境で育った人は矛盾に気づき不満を感じながらも、そういうものだというあきらめが広がります。

18世紀の経済学者アダムスミスは「国富論」で、自由な競争によってこそ富が生まれ、豊かになる。どんなに争いあっても道徳があれば「神の見えざる手」が働いて不均衡は生じないと主張したが、格差が生じて偏りができてしまいました。その結果、世界戦争の元凶となりました。資本主義、ひいてはお金というものは人間性をねじ曲げてしまう可能性があることを漱石は作品に投影しました。

第三章 「知ってるつもり」じゃないか

「情報通」「物知り」は知性とは別物です。現代人は百円ライターを使って火を着けますが、百円ライターの仕組みを知っている人は殆どいない。しかし未開の人間は自分たちの使っている火を起こす道具についてをよく知っている。従って、主知化や合理化は、我々が生きるうえで自分の生活についての知識を増やしてくれているわけではないのです。

トルストイは科学は我々が何を為すべきかということについて何も教えてくれないし、教えてくれないばかりか、人間の行為がもともと持っていた大切な意味をどんどん奪っていくと考えた。漱石はロンドン留学で先進国イギリスを見たときに「希望」よりも「不安」を感じました。ウェーバーも進んでいく時代の流れには抗えないと感じ、「認識の木の実を食べた者は、もう後には戻れない」と言いました。

人間の脳は際限がなく、放置しておくと限りなく広がり、勝手にボーダーレスな世界を作り出していくので、自分の身の丈に合わせてサイズを限定して、その世界について専門であるというような「知」のあり方があってもいいのではないか。我々の知性は何のためにあるのかを考え直す必要があります。

第四章 「青春」は美しいか

若い時は答えのない問いに悩みます。青春とは知りたいという心の渇望のようなものに従って、無垢なまでに物事の意味を問うことだと思います。そこには、未熟ゆえに疑問を処理できずに挫折や悲劇、失敗にさらされたりすることがありますが、それが青春です。

現代の若者は勉強をして専門知識を身につけて、確かにスキルがあって高給を取れる人間になるかもしれませんが、若い時こそ「私」とか「自我」といったものについて苦悩することも将来の人間形成には大事だと思います。

最近起こっている深刻な凶悪事件やネット上の仮想空間を見ていると、こだわりのないように行動したり、要領のいい生き方は情念のようなものが削ぎ落とされてしまって、その反動としてふいに凶暴なものが破裂しているのだと思われます。

第五章 「信じる者」は救われるのか

いまを生きる我々の心の問題の多くは「何も信じられない」が原因かもしれません。信じるという行為は人間にとって大事なことで、それは、「物事の意味を問う」という近代的な問題と密接に関係しています。

昔は宗教とは個人が属している共同体が信じているものだったので、そこに生きる人にとっては疑問の余地がないので「何を信じたらいいのか」という問い自体が生まれてきませんでした。周りがあらかじめ答えを用意してくれていたのでこれは非常に幸せな状態と言えます。

人生は自分がどうすべきかを選択しなければならない連続であり、何かを信じて答えを見つけて乗り越えていかなければなりません。漱石やウェーバーは「何を信じるか」という問題に果敢に取り組みました。「信じる者は救われる」というのは自分でこれだと確信できるものが得られるまで悩み続けることだと思います。

第六章 何のために「働く」のか

「人が働く」という行為の根底にあるのは「社会の中で自分の存在を認められる」ということです。

働くことを「社会に出る」と言い、働いている人のことを「社会人」といいますが、一人前になるとはそういう意味なのです。

人間というのは、「自分が自分として生きるために働く」のです。「自分が社会の中で生きていていい」という実感を持つためには、やはり働くしかないのです。

悩む力 p128

第七章 「変わらぬ愛」はあるか

近代の到来とともに個人は様々なものから自由になりました。どう生きるか、誰を愛するか、何を愛と考えるかも自由になりました。昔は相手を完全に自由に選べなかったからこそ「愛」なのか「愛ではないもの」なのかが見分けがつきやすかったのです。我々は自由を手にしたことによって愛から遠ざかってしまったのかもしれません。

愛とは、その時々の相互の問いかけに応えていこうとする意欲のことです。幸せになることが愛の目的ではありません。愛が冷めた時のことを最初から恐れる必要はないのです。

第八章 なぜ死んではいけないか

近代は個人の「自由」が獲得されたので死ぬのも生きるのも自由です。すると人びとは、とりあえず生きているけど、生きがいが分からないといったことになりがちになり、生きる意味が摩滅していきます。

そこで何を生きる力にするか。それは個人の内面の充足です。自我、心の問題に帰結します。自我を保持していくには他者との繋がりによる相互承認が必要なのです。よって、私が私として生きていく意味が確信できるのです。

終章 老いて「最強」たれ

老人の持っている力は、生産や効率性、若さや有用性を中心とするこれまでの社会を、変えていくパワーになるかもしれません。

若い時に大いに悩んで、悩み続けて、その果てに横着になると未来が開けてきます。

まとめ

近代の殺伐とした世相と希望の見えない社会で何のために生きるのかという問題の解決方法は、悩みに悩み抜いた先に答えがあるのです、ということが学べます。

悩むのは不幸でもなんでもなく、自分を高いレベルに引き上げてくれる必要な過程なのです。

本書は巷にあふれている悩んだ時に読む対処療法的な本ではなく、人間を真に強くさせてくれる内容です。

著者 姜尚中 1950年生まれ 政治学、政治思想史に精通

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